「空飛ぶ恥」オスプレイ

配備を撤回し、日米関係の再考を


ジャーナリスト・9条連近畿会員 ブライアン・コバート

昨年10月、ニューヨークで開催された国連総会の委員会において、34カ国の代表が世界的核兵器廃止を要求する共同声明を発表し、日本への参加を求めた。これに対し日本は、現在の日米間の安全保障同盟関係維持の重要性を引き合いに賛同しなかった。

日本政府のこの一つの対応から、環太平洋地域における米軍の配備拡大に関連した、これまでの問題がはっきりと見えてくる。沖縄県に配備された軍用輸送機オスプレイに関わる最近の論議も、まさにこれらの問題の一つである。

ヘリコプターと飛行機のハイブリッドであるオスプレイを、アメリカはアフガニスタンやイラクでの戦争で使用してきた。1989年の初飛行以来、技術や設計上の重大な問題点が指摘されていたにも関わらず、米海軍はオスプレイの普天間配備を1992年に決定したが、今までに米国内外で少なくとも30人以上の兵士や民間人がオスプレイ関連の事故の犠牲になっている。

これまで、米国ではオスプレイに関する技術的、財政的な問題が広くメディアに取り上げられてきた。2007年、月刊誌『タイム』では、長い特集記事でオスプレイを「空飛ぶ恥」と呼ぶなど、オスプレイの問題を隠蔽する米軍当局者の証言もメディアでは報告されてきた。

しかしながら、これに対する米国民の抗議の声は、あまり聞かれない。安全に輸送が行われる限りは、オスプレイの存在そのものに抗議が高まることはなく、ましてや、米国外の米軍基地にオスプレイが配備されることに米国国内で反対の意志が示されることはほとんどない。事実上、オスプレイ配備に最も強い反対の意志を示してきたのは、1950年代以来、日米安全保障条約の影響を直接的に受け、矛先となってきた沖縄県民である。

沖縄県民にとってこの問題は、オスプレイがどこに配備されるか、されないかという単純なものではない。日米安全保障は常に沖縄の犠牲の上に成り立っているのである。

『ニューヨークタイムズ』紙は最近の記事で、オスプレイに関する論議は日本社会において民衆の起爆剤となり、長年続いてきた日米関係の崩壊を招く可能性があることを指摘している。

私は、オスプレイは破棄されるべきで、このような航空機の飛行は沖縄県をはじめ日本のどの地域でも認められるべきではないと確信している。オスプレイに別れを告げ、将来の先々までを考えた日米関係の根本を再考することが、日本が核兵器廃絶をはじめとする喫緊の国際問題に対して声をあげる積極的な一歩になるだろう。

日本が核兵器に反対する国連の声明に賛同しないこと、安全性に大きな疑問を持たれているオスプレイの日本国内への配備、また日米地位協定、これらは「アメリカに従属する日本」がベースとなった日米関係にすべて結びついている。

自民党政権に戻ったことで、(民主党政権がよかったわけではないが)「強い日本」が日米の「同盟強化」を進めていくことになる。これは「従属関係」の強化に他ならない。新政権は集団的自衛権を主張し、安倍政権にとっては悲願ともいえる憲法改正も目論んでいる。

「アメリカに従属しない」ことを「日本が独自の軍事力を強化する」ことに結びつけるか、「日本が平和憲法を維持し、真の平和国家となる」と考えるかは、これからの国民の選択に大きく依ってくるのである。