イメージが重要 ボクサー レナード
(Image Important for Former Boxer Leonard)


ブライアン・L・コバート
トリビューン紙 スタッフライター


元ボクサーの「シュガー」レイ・レナード が35戦のプロキャリアで敗北を喫したのはただ一度だけだった。しかし、彼は自身のボクシングへの貢献は、その輝かしい戦績よりもはるかに大きなものだと考えている。

「ボクサーである自分たちは、今では、その存在自体に商品価値を持つエンターテイナーである、というイメージがある。そういうイメージを作り上げてきたことが自分のやってきた最大の貢献の一つだと思う」と29歳のウエルター級、ジュニアミドル級の元チャンピオンは語った。

「あまりにも商業主義的ではなく、品の良いものなら、どんな仕事を持ってくるかはマネージャー次第だ」

木曜日、レナードはサウス・レイク・タホ・レクリエーションセンターでサイン会を行いながら、メディアからの質問に答えていた。その様子は、有名人としての地位になじんでいるように見えた。

レナードはハラーズカジノの赤いTシャツと赤い野球帽を身に付け、多忙な仕事の合間をぬって、アメリカのアマチュアボクシングチームとシャドーボクシングを行った。このチームは今夜、ハラーズでハンガリーのアマチュアチームと対戦することになっている。

そのアメリカのチームの広報担当であるレスリー・キングは木曜日、レナードがアマチュアたちにジャブやフットワークの技術を指導しているのをリングの外から見ていました。

「彼らはものすごく感動している」と彼女はその若者たちについて言った。「アイドルに会うようなものだから。」チームの士気が高まったと思う、と彼女は付け加えた。「なんといっても、シュガー・レイのような憧れの存在が見ているのだから。」

モントリオールオリンピックでアマチュア選手の一人であったレナード自身がその世界大会で成功を収めたのは、わずか9年前のことだった。彼は頂上に上りつめる困難を忘れたことはない。

「今でもアマチュアの選手たちのところに戻ってきて、彼らを見てやろうと思ってしまう。なぜなら自分も彼らと同じく、ここからスタートしたわけだから。」と、彼は言った。

「彼らはもっと世界大会に出た方がよいと思う」と、彼はリングの中の若者たちを見ながら言った。「そうすることで、我国の主なライバルである、ロシア、ドイツ、ポーランド、キューバといった他国との選手と対戦するための経験や技術を学べるから。」

「その(オリンピックの)ユニフォームを着るというのはとても誇りに感じることなんだ。国の代表になり、オリンピックを構成する一員になれるということは、スターのような気分だ。金の問題じゃないんだ。」

1977年、レナードはオリンピックスターという遺産を残し、プロに転向した。その後、1979年にはヴィルフレット・ベニテスを破り、世界ボクシング評議会ウェルター級タイトルを獲得した。

1年後、レナードはロベルト・デュランと対戦し、彼のキャリアで唯一の敗北を喫したが、結局5か月後にデュランと再び対戦し、タイトルを取り戻した。その後はトーマス「ヒットマン」・ハーンズやブルース・フィンチといった選手たちと対戦し、1982年に33勝1敗という記録を打ち立て引退した。

そして、レナードは昨年ケビン・ハワードとの試合でカムバックを果たし、派手に宣伝された。彼はその試合の前に目の手術を受けていた。彼は試合に勝ちはしたが、挑戦者のハワードから激しく打たれダウンを奪われた。そして、レナードはその試合のすぐあと、永遠に彼のボクサーとしてのキャリアを閉じた。

最近、彼の目の調子はどうなのだろうか。

「手術を受けてからは問題ない」と彼は言った。「視力は20-20。今でも毎日のように、同じことを尋ねられる。フランク・シナトラを除けば、私は最も有名な目の持ち主だ。」 

最近、医療専門家たちからボクシングを安全面の問題から禁止にするべきだという意見が上がっている。しかし、レナードはその批判からボクシングを擁護した。

「米国医師会や(レーガン)政権がボクシングを禁止にするべきだと派手に批判していることを知っているが、それでもボクシングは禁止にならないと思う」と、彼は言う。

「こういった批判を受けるのは、自分たちには他のスポーツにはあるような支持基盤がないからだと思う。フットボールや野球にはいるような擁護してくれる人たちがボクシングにはいない。」

「ボクシングは、その固定観念化されたイメージのために、非常に否定的な扱いを受けているのだ。」