911 21世紀への新たなパールハーバー


ブライアン・コバート


こんにちは。本日は新聞学研究会の第210回例会のゲストスピーカーとしてお招きいただき、ありがとうございます。 特に七夕のような日本の特別な日に、尊敬すべき同僚の報道関係者の方々の前でお話できることを光栄に思うと同時に、身の引き締まる思いです。

お聞きの通り、私の名前はブライアン・コバートです。 ジャーナリズムの分野で20年以上、日本とアメリカで仕事をしてきました。日本に住んでいた15年余りの間に、私は日本のかつての英字新聞4紙のうち3紙で働きました。また、UPI通信社東京支局の大阪特派員も務めました。長年にわたって日本に住み、日本で仕事ができたことは、私にとって大きな喜びです。

私と家族は2001年から一時的に米国に住んでおり、911が起きた日、私は米国西海岸のカリフォルニア州に住んでいましたが、今年1月、家族と私はついに関西に戻ることを決断しました。そして私は、フリージャーナリストとして、これからもずっと日本で仕事を続けていくつもりです。

今日のトピックである2001年9月11日の出来事について、60年以上前の攻撃と比較対照しながらお話ししたいと思います。当時、ハワイはアメリカの植民地であり、アメリカ50州のひとつではありませんでした。私たちの専門分野であるニュース・ビジネスが、911において、そしてそれ以降現在に至るまで、米国でどのような役割を果たしてきたかについても触れたいと思います。

今、こういったことを語るにあたって、政府や企業、その他の機関を批判するだけでは不十分です。ニュースメディアがどのように戦争を報道しているのか、そして実際、戦争が終わった後も、彼らがどのように戦争を「創造」し、戦争に関する神話を広め、人々の記憶に留めようとしているのかをじっくりと見極めなければなりません。 今回は主にアメリカの報道機関に対する批判に焦点を当ててみたいと思います。

パールハーバー、神話と現実

まずは、1941年12月7日(日本時間12月8日)に起こった日本軍の真珠湾攻撃に関する神話から見てみましょう。アメリカのニュースメディアや、特にハリウッドは、第二次世界大戦中、終始、日本を残酷で無慈悲で、ほとんど非人間的な敵として描いてきました。

真珠湾攻撃は「奇襲攻撃」であったというのが、ほとんどの歴史家の標準的な見方でした。 彼らは、当時の日本軍は安全保障上の理由から厳格に無線封止を守っており、日本軍によって放送された数少ない無線伝送は非常に巧みに暗号化されていたため、米軍はその暗号を解読することができなかったという路線に固執してきました。

当時、米国はハワイ諸島を軍事占領していました。それにも拘わらず、常に自らを日本軍による真珠湾爆撃の「被害者」、つまりいわれのない無実の被害者として描いてきました。真珠湾攻撃はそれ以来「汚名の日」と呼ばれています。

この言葉を作った当時のフランクリン・ルーズベルト大統領でさえ、真珠湾攻撃の前には何も知らなかったとされています。真珠湾が攻撃され、ルーズベルトはジレンマに直面し、不本意ながら日本に宣戦布告し、アメリカを第2次世界大戦の舞台へと引きずり出すしかなかったというのが、神話です。 さらに、真珠湾攻撃は常に、広島と長崎への原爆投下という、これまでに人類に加えられた中で最も凶悪な国際人道犯罪を正当化するためのものとして使われてきたのです。

アメリカ国内だけでなく、世界中でこのテーマについて多くの議論が交わされ、この神話は当時から世の中で受け入れられてきました。 しかし、第二次世界大戦時の元米軍将校、ロバート・B・スティネット著の危険を孕んだ新著が2001年に出版されてからは、その状況が変わり始めました。その本のタイトルは『Day of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』です。

スティネット氏が1941年12月7日を「汚名の日」ではなく、むしろ「欺瞞の日」だと考えていることは、タイトルを見ればお分かりになるでしょう。そして彼の示す証拠は、かなり説得力があります。では、それらのいくつかを挙げてみたいと思います。

スティネット氏は、この件に関連する文書を求めて情報公開を申請し、最終的にアメリカ政府からその文書の一部を受け取りました。そこから彼は、長年にわたって根強く信じられてきた真珠湾攻撃に関する神話がまさに作り話であるという結論を導き出すことができたのです。

その結論は神話に反していました。つまり、日本軍は第二次世界大戦中、暗号化された無線通信を定期的に放送しており、米軍は早くから日本の暗号を解読することが出来ていたのです。その中には私たちが最近住んでいたカリフォルニア州北部、ハンボルト郡近くにあった、かつての基地の情報も含まれていました。つまり、米軍は当時の日本軍と政府が何をしようとしていたかをよく知っていたのです。

さらに、この本で最も驚いたことは、彼の言葉を引用すれば「ルーズベルトは知っていた。」ということでした。つまり、ルーズベルト大統領は真珠湾に至るまでの出来事を熟知していました。そして、知っていただけでなく、米軍が作成した「8項目のメモ」を承認していたのです。このメモは、日本を挑発して真珠湾を攻撃させ、その結果、アメリカが正当性をもって第二次世界大戦に参戦できるようにするためのものでした。

スティネット氏の調査によると、8項目のメモは当初、日本の専門家であるアーサー・マッカラム米海軍少佐によって1940年10月7日に作成されました。 ルーズベルト大統領はそれに目を通し、翌日、即座に承認したと伝えられています。スティネット氏が指摘するように「ルーズベルトは知っていた」のであり、しかも、ルーズベルトは1941年の真珠湾攻撃の1年以上前からこの計画を知っていたのです。

この8項目のメモは、事実上、戦争の青写真でした。当時、アメリカ人の80%がアメリカの参戦に反対していたと言われています。それは敵の攻撃を強力かつ劇的に挑発し、米国民がその後米軍を支持せざるを得なくなるような青写真でした。

私は、この「8項目のメモ」のコピーをインターネットからダウンロードすることができました。今からお回ししますので、どうぞご覧になってください。これは、ほんの数年前まで人目に触れることのなかった重要な証拠で、初めてその存在を知ったという方が多いのではないかと思います。

メモの原文は「太平洋情勢の推定と米国による行動の勧告」と題されています。米軍が米政府に勧告した行動のポイントは8つあり、引用します。

A. 太平洋の英軍基地と特になかでもシンガポールの使用について英国との協定締結。
B. 蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結。
C. 蒋介石政権への、可能なあらゆる援助の提供。
D. 遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣すること。
E. 潜水戦隊二隊の東洋派遣。
F. 現在、ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。
G. 日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう主張すること。
H. 英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な通商禁止。


そして、マッカラム米海軍少佐はそのメモの直後に次のように付け加えました。「これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることが出来るだろう。そうなれば、益々結構なことだ。いずれにしても、戦争の脅威に対応するため、われわれは十分に準備を整えておかなければならない」。

そして、まさに1年後にそれが起こったのです。米国民の大多数は戦争に踏み切ることに躊躇していましたが、米軍は日本を挑発してアメリカを攻撃させることは、逃すことのできないまたとないチャンスだと考えていたようです。 そして、あとは歴史通りとなったわけです。

日本がアメリカによって挑発され、真珠湾を攻撃したという考え方は、歴史家ハワード・ジンの名著『民衆のアメリカ史』でも少し取り上げられています。ジン教授はこの本で、アメリカ政府の視点ではなく、市民の視点からアメリカの歴史を記録しています。この本は1980年に出版されて以来、今日に至るまでベストセラーであり続けています。

ジン教授は、アメリカは長い間、日本の中国におけるプレゼンスを何の不満もなく支持してきたと記しています。しかし、日本政府が中国の資源、特に東南アジアの錫、ゴム、石油市場を乗っ取ると、アメリカは怒り狂い、日本に対して鉄くずと石油の全面禁輸措置をとりました。ジン教授は、このような行為が、日本に軍事的措置に踏み切らせることになるとアメリカはよく理解していたし、実際1941年12月にそうなった、と指摘しています。

米国史におけるその他の「パールハーバー」

このようなアメリカの戦争を始める挑発行為を振り返るとき、私たちは次のように自問せざるを得ません。これが初めてでしょうか。 もちろん、答えは「ノー」です。 実際、ご存じのように、米国は戦争行為を利用して、あるいは「創造」して、新たな敵国に対して自ら宣戦布告してきた長い歴史があります。アメリカの歴史を通して、いくつかの例を挙げてみます。

・1846年 米偵察兵がメキシコ騎兵隊に殺害される 米国を米墨戦争へと導く
・1898年 キューバ、ハバナ港でのアメリカ軍艦メイン号の爆沈事件 米国を米西戦争へと導く
・1915年 アメリカ船「ルステイニア号」の沈没事件 米国を第一次世界大戦へと導く
・1941年 パールハーバー攻撃 米国を第二次世界大戦へと導く
・1964年 トンキン湾事件 米国をベトナム戦争に導く  
・2001年 9月11日ニューヨークなどでの「テロ攻撃」 米国をアフガニスタン、イラク戦争へと導く。

21世紀の「パールハーバー」への青写真

こうして、2001年9月11日の出来事までたどり着きました。私が911を60年前の真珠湾攻撃と比較する理由をいくつか挙げてみます。

戦争の挑発が現実に行われるためには、まず戦争への青写真が必要です。1940年に作成された「8項目の行動計画(メモ)」は、スティネット氏が著書の中でまさしく指摘しているように、アメリカが第二次世界大戦に参戦するための青写真でした。

911にも戦争への青写真がありました。最初のステップは、その青写真を描く組織を作ることでした。クリントン政権時代の1997年に、そのような組織が「Project for the New American Century (PNAC) アメリカ新世紀プロジェクト」という形で作られました。 PNACは基本的に新保守主義者、つまり「ネオコン」として知られる極右の有名人によるシンクタンクでした。 (アメリカでは、この「ネオコン」グループのことを冗談めかして「ネオコンビクト新囚人」と呼ぶ人達もいます)。

ある元CIA職員はメディアでこの超右派のイデオロギー信奉者集団のことを「クレイジー」と表現していました。この集団を構成していたのは、ディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官など、ジョージ・W・ブッシュ政権の中枢に入ることになる多くの政治過激派達でした。

2000年9月、米大統領選挙を2ヵ月後に控えたPNACは、そのマニフェストを起草しました。それは『アメリカの防衛再建~新世紀のための戦略、力、と手段』と題する90ページの報告書でした。

その報告書の内容はアメリカが完全に世界を軍事的支配下に置こうとするもので、アメリカの従来の軍隊を、世界がかつて見たこともないほど巨大で強力な新しい軍隊に変えることによって、それを実現しようとしていました。世界のミサイル防衛、宇宙空間、サイバースペースをも米軍が完全に支配することを求めており、言い換えれば、私達が知る全宇宙をアメリカが完全かつ全面的に支配することを意味していました。

これはかなり野心的なファンタジーですよね。しかし、ハリウッド映画を見ればわかるように、アメリカ人は他のことはともかく、事実からファンタジーを作り出すのが得意なのです。

米国の右派がクリントン政権を軍事面で弱いと見ていたことは周知の事実であり、こうした極右主義者たちは、米国と世界が進む方向をひどく嫌っていました。クリントンは本当の意味でのリベラルとはほど遠かったですが、キリスト教原理主義者を中心としたこれらの極右主義者は、どんな手段を使っても米国の方向性を変えようとしていました。

PNACは、この報告書の51ページ、第5章「明日の支配的な軍事力の創造」の「宇宙とサイバースペースの支配」の項で次のように述べています。

「かつて公海の支配と商圏の維持が世界の大国を決定づけたように、新たな「国際公共財」の支配が将来の世界権力の鍵を握るだろう。宇宙や「インフォスフィア=情報空間」における自国や同盟国の利益を守ることができないアメリカは、グローバルな政治的リーダーシップを発揮することが難しくなるだろう」。

PNACはここで、米国が大胆にも大気圏の内側と外側の両方、つまり私達が知る全宇宙を支配するつもりだと表明しているのです。またこのページには、アメリカによる完全支配を達成するための最善の方法についての次のような一文も書かれています。

「さらに、もしそれが変革的な変換をもたらすとしても、変革の道のりは、ある破壊的でそれを後押しするような出来事〈新たな真珠湾攻撃のような〉が無ければ時間がかかるであろう」。

これは、この膨大な報告書の中に挟まれた一文に過ぎませんが、米国が将来取ることになる方向性について、より広い理解につながる小さな鍵なのです。

このレポートが発行されてから2ヶ月後の2000年11月、アメリカ大統領選挙はまもなく決着する頃で、その勝敗は偶然にもジョージ・W・ブッシュ大統領の弟、ジェブ・ブッシュが統治していたフロリダ州にかかっていました。

2000年の物議を醸した選挙の全過程について、他の主流メディアのアメリカ人ジャーナリスト達が見逃していたスクープを、ロンドンのBBCで働くグレッグ・パラストというアメリカ人フリージャーナリストが入手しました。そのスクープとは、ジェブ・ブッシュ政権下のフロリダ州が、アフリカ系アメリカ人有権者や民主党に投票する可能性のある有権者の数万人の名前を有権者名簿から違法に削除していた、というものでした。そして、フロリダ州とアメリカ合衆国最高裁判所は2000年12月12日、ジョージ・W・ブッシュを次期大統領に選出しました。つまり、その選挙は最初から最後まで腐敗していたのです。

PNACの報告書『アメリカの防衛再建』は、その時点でまだ3カ月しか経っていませんでした。今こそ極右主義者たちが計画を実行に移すときでした。

1941年と2001年の二つのパールハーバ

1940年12月にルーズベルト大統領によって「8項目のメモ」が承認されてから、日本の真珠湾攻撃が起こるまでほぼ正確に1年かかったように、2000年9月にPNACの報告書が最初に発表されてから、911同時多発テロが起こるまで同じように1年がかかりました。この二つの青写真は、60年の時を隔てていますが、いくつかの共通点があります。

(1)どちらも国民が反対しているにもかかわらず、米国を戦争に導いた。
(2)どちらも米国民の間に愛国心の復活をもたらした。
(3)どちらも「安全保障」の名の下に、市民の権利を厳しく制限する結果となった。
(4)どちらも米国の軍産複合体(軍需産業と国防総省、議会が形成する経済的、軍事的・政治的な連合体)の利益を大幅に増大させた。
(5)どちらも敵国に対する核兵器の使用[それぞれ原爆と劣化ウラン兵器]につながった。
(6)どちらも特定の人種や民族を標的にした。1941年には日系アメリカ人、2001年にはアラブ系アメリカ人とイスラム教徒が標的にされた。
(7)どちらも米国を敵の奇襲攻撃の「犠牲者」として描くのに役立った。
(8)どちらも米国の主要報道機関のコンプライアンス(報道指針)や協力が必要である。

また、著名な政府高官が「パールハーバー」に関連した不吉な言及をしていたことも見逃せません。1999年、アメリカ議会は「米国国家安全保障・宇宙管理・組織評価委員会」を設立しました。この組織は、すでに最強の空軍、陸軍、海軍をさらに補完し、連携させるために、無敵の「宇宙軍」を創設することを目的としていました。

2001年1月、ブッシュが連邦最高裁判所によって大統領に選ばれたわずか1ヵ月後、民間企業で働いていたドナルド・ラムズフェルド委員長は、その報告書を公表しました。その中の一節は次のようなものでした。

これまで、外部からの「ありえない」出来事によって、抵抗する官僚達が行動を起こさざるを得なくなるまで、警告のサインが無視され、変化に抵抗した例が数多くある。問題は、米国が責任ある行動を取るに十分な知恵を持ち、米国の宇宙全面支配計画に間に合うかどうかである。それとも過去のように、国や国民を無力化する攻撃、つまり「宇宙の真珠湾」が、国民を活気づけ、米国政府に行動を起こさせる唯一の出来事となるのだろうか。

「第2ラムズフェルド委員会」(当時は一般にそう呼ばれていた)は、2001年1月11日に、「Space Pearl Harbor 宇宙のパールハーバー」の可能性についての言及を発表しました。それはその年の9月に911が起こる8ヶ月前のことでした。

神話を固定化するメディア

ここで、911神話を社会に広め、固定化するためにアメリカのニュースメディアが果たした役割を見てみましょう。

元FBI捜査官のクリストファー・ホイットコムは2002年10月、アメリカの大学生へのスピーチで次のように述べました。「メディアなくしてテロはありえない。」このホイットコム氏の発言は非常に的を射ていました。皆さんの中で、メディアのないテロリズムの世界を想像できる人がいますか。考えてみてください。

911同時多発テロ直後の米国で、真珠湾神話と911神話の類似点を最初に国民に示したのは、米国のニュースメディアでした。

NBCテレビの人気アナウンサー、トム・ブロコウは2001年9月11日の報道で、「これは真珠湾攻撃以来の深刻な対米攻撃だ」と述べました。 この発言をしたブロコウは、その後、さらに非道な発言をしました。それは米国メディア関係者の発言としては、もっとも非道な発言の一つだと言えると思います。米国がイラクに侵攻していた2003年3月19日、ブロコウが放送で次のように述べました。「イラクのインフラを破壊することは、私たちがやりたくないことのひとつだ、なぜなら数日中には我々の国になるからだ」。

2001年9月11日、全国紙USAトゥデイは一面にこんな見出しを掲げました。『「第二の真珠湾」に負けないアメリカ』

1941年の真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領が宣戦布告の演説で使った有名な言葉を借りて、「悪名高い」あるいは「悪名高い日」などという言葉が米国のニュースにも多く登場しました。

「悪名高い日」は、911同時多発テロに関するタイム誌の特集号のタイトルです。その号の最終ページには「怒りと報復のために」という見出しの下に、あるタイム誌のライターが次のように記しています。「怒りは悪名高い日を生き抜く力となる。怒りを持とう。」

ホノルル・アドバタイザー紙の911翌日のトップ記事は次のようなものでした。「奇襲攻撃は、かつての悪名高き日の亡霊を呼び起こす。」つまり、911は「新しい」悪名高き日となり、真珠湾は「古い」悪名高き日となったのです。このように米国のニュースメディアは、911の翌日にはすでに歴史を塗り替えていたのです。

前述したように、911同時多発テロがアメリカ東海岸で起こったとき、私はカリフォルニアにいました。

皮肉なことに、私が911について最初に知ったのは、狂信的なアメリカのニュースメディアからではなく、福岡に住む友人の日本人ジャーナリストからでした。私が起きたばかりで、まだテレビもラジオもつけていなかった時、毎日新聞の昔の同僚で、現在はRKB毎日放送のカメラマンとして福岡で働いている人物から電話がかかってきました。彼の声は取り乱し、高ぶった様子でした。電話口で「大丈夫か。 本当に大丈夫か。」と聞く彼に、私は大丈夫だと答えました。そして、彼は、アメリカが敵の攻撃を受けていると言いました。私はこの時点でテロ攻撃のことを知らなかったのです。このように、カリフォルニアでは、自分のペースでニュースを知るのは普通のことなのです。

すぐにテレビをつけると、ニューヨークで起こった劇的な映像が流れていました。その日からの数日間、私はアメリカのジャーナリズムは本当に死んでしまったと思いました。どこもかしこも星条旗のシンボルで埋め尽くされ、紙面の見出しにはアメリカの報復を煽る内容が書かれていました。

報復を求めるメディア

ニューヨークを拠点とする「報道の公正さと正確さ」(FAIR)という優れたメディア監視団体があります。その団体が発行する『Extra!』という雑誌を皆さんにご覧頂けるように今からお回しします。このFAIRはアメリカのメディア報道の中の間違いを伝える週一のラジオ放送も行っています。このように、彼らはアメリカにおけるメディアの偏向報道について優れた調査と研究を続けています。このFAIRは2001年9月17日、911から1週間も経たないこの日に、アメリカのニュースメディア全体が、いかにアメリカ国民を報復に向かわせるような報道をしているかを指摘する報告書を発表しました。

FAIRの報告書に引用されている「メディアの復讐」についてのいくつかの例をご紹介します。

911の翌日、2001年9月12日付のニューヨーク・ポスト紙からの引用です。「この想像を絶する21世紀の真珠湾攻撃への対応は、迅速であると同時に単純であるべきだ。つまり、ならずものを殺すことだ。眉間に銃弾を撃ち込み、粉々に吹き飛ばし、必要なら毒殺する。このような寄生虫を受け入れている都市や国については、爆撃してバスケットボールのコートにでもしてしまえばい」。

次に、アメリカの右翼雑誌ナショナル・レビューの編集者が、2日後の2001年9月13日にワシントン・ポスト紙に語った文章です。「正義の怒りに駆られたアメリカは、常に世の中のためになる力となってきた。ウサーマ・ビン・ラーディンでなくとも、彼のような人物を支援してきた国家は痛みを感じる必要がある。ダマスカスやテヘランの一部を破壊するなど、どんな手を使っても痛みを与えることが出来れば、それが解決策の一つとなる」。

また、別の引用は、2001年9月13日の米国の人気フリーコラムニスト、アン・コールター女史の文章です。「この特別なテロ攻撃に直接関与した人物の所在を特定することに、貴重な時間を割いている場合ではない。(中略)我々は彼らの国を侵略し、指導者たちを殺し、彼らをキリスト教に改宗させるべきだ。我々は(アドルフ・)ヒトラーとその幹部だけを探し出し、処罰することにこだわっていたわけではない。我々はドイツの都市を絨毯爆撃し、民間人を殺した。それが戦争だ。そして、これこそが戦争なのだ」。

ちなみに、このコールター女史は、アメリカでも有名で、アメリカ政府に反対するアメリカ人は 「裏切り者」であり「処刑」されるべきであるとしばしば述べています。彼女は米国で最も人気のある政治コラムニストであり、政治解説者の一人です。

米国のニュースメディアは、911を真珠湾神話と比較する際、政治的志向では対極にあった2人、不器用なジョージ・W・ブッシュと、より雄弁なフランクリン・ルーズベルトの比較もすぐに始めました。そして、その後、この2人の比較は数え切れないほど行われました。つまり、米国のニュースメディアは、21世紀の新たな「悪名高き日」を人々の記憶に固定化させる準備が十二分に出来ていたのです。

メディアが作り上げた英雄たち

また、私たちジャーナリストが普通の人間をいわゆる 「ヒーロー」にすることは非常に危険だと思います。1941年に真珠湾で亡くなった米軍兵士たちは、(不法占拠していた島で)兵士や水兵としての仕事をしただけなのに、英雄視されてきました。 2001年のあの運命の日、ワールドトレードセンターに偶然居合わせた何千人ものアメリカ市民もまた、アメリカ社会から「英雄」のレッテルを貼られました。

個人的なことを言えば、911の後、私がカリフォルニアに住んでいたとき、地元の新聞は、911にハイジャックされて、アメリカ中西部で墜落したと言われるユナイテッド93便の乗客の一人が、カリフォルニア北部の私と同じ地域に暮らしていた地元の男性であったと報じました。即座に、地元のニュースメディアは、その地元の男性は、飛行機が墜落する前に勇敢にもハイジャック犯を制圧した勇敢な乗客の一人に違いない、と報道を始めたのです。そこで私が感じたのは「地元のニュースメディアは、どうして彼がその英雄であったことを知ることができたのだろう。あのフライトで乗客は全員死んだのに- 英雄視されている彼も含めて」ということでした。

同じ頃、日本にいた私の妻から電話があり、日本のニュースメディアが同じユナイテッド93便に偶然乗り合わせた日本人男性について、こちらとほぼ同じ内容の報道をしていると教えてくれたのです。しかし、なぜ日本の報道機関はその日本人乗客がその「英雄」だと知っていたのでしょうか。私はその時、ユナイテッド93便にその地域の市民が搭乗していた国や州や都市は、おそらく自国の市民がその便の「英雄」であったと主張しているのだろうと悟りました。

今日ここで取り上げたのはほんの一部ですが、911の出来事について語るべきポイントは他にも数え切れないほどあります。

話しも終わりに近づいてきましたが、その前に、私が読み終えたばかりの一冊の本をご紹介したいと思います。この物議を醸す新書のタイトルは『911事件は策略か―「21世紀の真珠湾攻撃」とブッシュ政権』です。この本は、アメリカの神学教授であるデヴィッド・レイ・グリフィン氏によって書かれたものです。著者は自ら911について調査するのではなく、他のジャーナリストや作家、あるいは世界中の市民によってなされた911についての調査をまとめています。この本には、初めて知る驚くような事柄や、大きな謎に迫る糸口がたくさん詰まっていました。私はこの本を読んだ今、911の出来事をいわゆる「事故」というよりも、起こるべくして起こったことのように受け止めています。

日本軍による真珠湾攻撃が、いわれのない偶発的なものではなかったことを示す歴史的証拠が現れるまでに、60年以上の歳月を要しました。私たちの専門分野であるジャーナリズムが、そんな長い年月を経ずとも、911の隠された歴史を明らかにできることを期待したいと思います。

解決策 メディア・デモクラシー

私は今日のスピーチで、911と真珠湾の歴史的な比較や、アメリカのニュースメディアの問題点についてお話ししました。そして最後に、米国のニュースメディアを悩ませている問題の解決策について少しお話ししたいと思います。それは、今日、米国や世界の他の地域で「media democracy メディア民主主義」(オープンメディア/開かれたメディア)と呼ばれる運動の中にあると思います。私は、この運動が、日本、アメリカ、そして世界中の国々において、ニュースメディアをより良い方向に変えていく大きな希望を私たちに与えてくれるものだと考えています。

最近、米国で最も人気のある独立系ニュースメディアは、ニューヨークのパシフィカ・ラジオ・ネットワークでエイミー・グッドマンが司会を務める『デモクラシー・ナウ!』です。 最初は小さなラジオ番組でしたが、その後飛躍的に成長し、北米全土、そして世界各地のラジオ局やケーブルテレビ局で放送されています。「デモクラシー・ナウ!」は、この種の公共メディアとしてはアメリカ最大の共同公共メディアと言われていますが、アメリカ国民のほとんどは「デモクラシー・ナウ!」の存在をあまり知らないようです。― 特に、主流メディアからニュースを得る傾向がある人々の間では。しかし「デモクラシー・ナウ!」は着実に成長し、その放送はいつでも、より多くの視聴者に届くようになっています。

日本にいる私たちは「デモクラシー・ナウ!」をインターネットで無料で見ることができます。ぜひ1話か2話を視聴し「オープンメディア運動」の未来がどうなるかを見ていただきたいです。この番組の司会者であるグッドマンが、最近、人気のある本を出版しまして、今日、こちらに持ってきました。今から回しますので、どうぞご覧になってください。

私は最近、日本で様々な分野で活躍するフリージャーナリストや市民の皆さんと、独立系の新しいニュース番組や組織を日本で作る可能性について話し合っています。それらは、FAIRや「デモクラシー・ナウ!」などが世界中で行っているような内容のものです。実現には長い年月がかかると思いますが、「media democracy メディア民主主義」や「オープンメディア/開かれたメディア」の運動は、今後数年のうちに日本でも定着すると確信しています。そのとき、私はその最前線にいたいと思っています。

私は、オープンメディア運動がなぜ、そしてどのように世界中のさまざまな場所で成功してきたのかを観察し、分析することに時間を費やしてきました。そして、そのような独立メディアの成功は、女性と若者という2つのグループの積極的な参加によるものだという結論に達しました。女性と若者は現在、主流メディアから多かれ少なかれ閉め出されています。しかし、女性と若者がニュースメディア運動の最前線に携わらない限り、成功はありえないでしょう。というのも、女性は私たちが働いている男性優位のニュースメディアとは異なる、より新鮮な視点を提供してくれることが多いですし、若者はこの新しい運動のエンジンとなり、その運動を維持するのに必要な活力と熱意をもたらしてくれるからです。私が分析した限りでは、この2つのグループが、新世紀における真のメディア変革のための重要な要素です。

多くの国で、市民自身がニュースの報道、ニュースの批判、ニュースの形成において、より積極的な役割を担っています。それは、ますます多くの人々が、主流メディアが伝えることを信用しなくなっているからです。そのことは、私たちジャーナリストが直面しなければならない厳しい現実です。私は他のどの職業よりもジャーナリズムを愛していますが、このような市民の批判や行動は、ニュースメディアにとって有益なことだと思っています。些細な問題に対するセンセーショナルな報道がしばしば行き過ぎ、制御不能になる一方で、人々の生活にとって重要な問題に対する報道は、ニュースの中でますます小さくなっているように見えます。ですから、市民自身がニュースメディアを文字通り自分たちの手で取り上げる方法を学ぶのは良いことだと思います。

私の考えでは、ニュースメディアを良い方向に変えるには「内圧」と「外圧」の両方が必要です。メディア企業の内部にいるジャーナリストは、メディア企業の外部にいる人々と協力し、編集者や取締役会、さらには広告主に対して、ニュースメディアがよりバランスの取れた、公正で正確で、有益な、人々の日常生活に関連したものになるよう、絶えず圧力をかけ続けることができると思います。これは世界の多くの地域ですでに起こっていることであり、日本でもそうなると私は考えています。少なくとも私は、このことが数年後に日本で現実のものとなるよう、微力ながら努力する覚悟です。

結論

最後に、ニュースメディアは真珠湾攻撃のドラマと911のドラマチックな出来事を比較したがりますが、それはハリウッド版、つまり私が今日ここで話した神話だけを比較しているのだということを忘れてはなりません。これらの神話は非常に弱いのです。60年を隔てて起こったこの二つの出来事には、どちらも事実と真実(本当の事実)があるのですが、この二つの出来事には多くの共通点があります。世界中の政府が、市民を激怒させ戦争へと駆り立てるために、いわゆる「奇襲攻撃」を日常的に使ってきましたし、今も使っています。このようなことは、以前にも世界で起こったことであり、また間違いなく世界のどこかで、もしかしたら将来日本でも起こるかもしれないのです。

このような事件が起きたとき、私は、米国のマスコミが行ってきたような戦争の美辞麗句で国民を煽るのではなく、政府と軍の目に見えないつながりを深く調査することが、ジャーナリストたちの責任であり義務であると強く感じています。私たち日本のジャーナリストは、米国の報道機関を反面教師として、賢く利用すべきなのです。英国放送協会(BBC)の元トップのグレッグ・ダイク氏も同じことを公言しています。私は彼に心から同意します。

私は常に、ジャーナリズムは正しい理由と正しい方法で行われれば、民主主義において最も重要な機能を果たすだけでなく、多くのポジティブな方法で世界を変えることができるという確信を持ってきました。私は今でもそう思っていますし、これから数年間、ここ日本で自分の信念を多くの努力で実践していくことを楽しみにしています。

これから質疑応答に入るということですね。私の長い話にお付き合いいただき、心から感謝いたします。

ありがとうございました。