books
Stacks Image 20902
THE SPIRITUAL MANDELA
Dennis Cruywagen
Zebra Press 2016
中長年にわたるメディアの活動により、故ネルソン・マンデラの生涯が人々に知られるようになってきました。彼は南アフリカの、結束の固い伝統的な地方の一族出身者でしたが、後に世界で最も有名な政治犯となり、そして、最も尊敬される国際的に優れた政治指導者となった人物です。

しかし、そういったメディアによっても、マンデラについて知り得なかったことが一つあります。それは、彼の内部深くに刻みこまれたものについてです。どんな精神的、宗教的な信念が彼の長く波乱万丈な人生の様々な局面において、彼を導いてきたのでしょうか。アパルトヘイトで知られる南アフリカの残忍な人種分離制度に立ち向かい、後に克服してゆくという生涯の中で、一体どんな精神的基盤に支えられてきたのでしょうか。

南アフリカのジャーナリストであり、政治評論家であるデニス・クライヴァゲンによる最新本、『
The Spiritual Mandela』(マンデラの精神面)では、その答えを見つけようと、まだ明らかにされていないマンデラの個人的な側面を掘り下げています。このことは、これまでほとんどだれも試みてこなかったことでした。

また、彼は幼少の頃から南アフリカの田舎でメソジスト教徒の母によって育てられ、2013年12月に95歳で亡くなるまでずっと、個人的にはそのプロテスタント・メソジスト派を信仰してきました。

しかし、公的には、マンデラは生涯を通して宗教の重要な役割を重く扱うことはありませんでした。「いいえ、私は特に宗教的でも精神的でもありません」と南アフリカの大統領になる前の1990年代初頭のインタビューで語っていることがこの本に書かれています。「言わば、私は人生の意味や目的を見つけるための全ての試みに興味があるのです。宗教はそれを行う上で一つの重要な部分なのです」明らかに、マンデラは社会の中での宗教の多様性を肯定的なものと捉え、自身の信仰が他の宗教より優先されることがないように常に心がけていました。

マンデラの2番目の妻である、ウィニー・マディキゼラ=マンデラもまたメソジスト派を信仰する家庭で育ちました。ですから、彼らには共通の宗教的結び付きがありました。彼らは1958年に結婚しましたが、この結び付きが、結婚後のアパルトヘイトの最悪の時代においても彼らの絆を固くしたように思われます。実際、この本からもわかるように、当時の南アフリカの黒人の多くが、このメソジスト派を信仰していました。それは明らかに、この教派がアパルトヘイトを拒否し、黒人を白人と対等に扱ったからです。その当時、他にこのようなキリスト教派は南アフリカにはほとんどありませんでした。

ほぼ半世紀が経ち、南アフリカには、アパルトヘイトによって深い社会的、精神的な分裂が生まれていました。その溝を埋めるために「真実和解委員会」を作ろうと推し進めたのは、1994年に大統領になったネルソン・マンデラでした。そして、マンデラの親しい友人である、デズモンド・ツツ英国教会大主教がこの委員会の監督に選ばれました。

著者のクライヴァゲンが書いているように、この委員会を作ろうとした政治判断は、敵に対する寛容と慈悲心というマンデラの強いキリスト教の信条に基づいています。マンデラは個人的に感じていました。南アフリカの新しい憲法は民主主義制度を育成する中でしっかりと根付いていたものの、それと同じようには、アパルトヘイトの後もなお社会に存在する道徳的隔たりを打ち破ることは出来ない、それが出来るのは精神性だけであると。

委員会は取り組みを進め、南アフリカ国民からは賞賛と批判の両方が起こりました。その後数年間で、世界中の国々がマンデラの思想を理解し、自国にある分裂に取り組むために同じような委員会を設けました。

最後の章である「
Last Rites」(最後の秘跡)で、私たちは彼のごく親しい人たちが共有した感動的なエピソードに触れながら、マンデラの人生を最後の瞬間までたどります。マンデラは、伝統的なアフリカ部族の儀式と典型的なメソジスト派の儀式が合わさった葬儀で送られました。世界中の人々は世界のメディアと技術のおかげで、この記念すべき出来事を、ありのままにライブで見ることが出来たのです。

著者のクライヴァゲンは、これまで誰もやろうとする者がいなかったような大仕事に取り組みました。それは、225ページに及ぶマンデラの精神面に焦点をあてた執筆でした。ですから、結局のところ、ジグソーパズルのようにマンデラの人生を細切れにかき集め、主な情報源として過去のメディアの記事を多用するに至ったのかもしれません。

しかし、幸運なことに、そのバランスの悪さは、マンデラの死後に、この本のためにクライヴァゲン自身が個人的に行った新たな調査やインタビューなどで相殺されています。そして、ネルソン・マンデラの偉大さを作り上げたものが何だったのか、その心の奥底にあるものに対し新たな洞察を得るとき、我々読者は、さらに豊かになれるのです。
Through the mass media over the years, many of us have become familiar with the life story of the late Nelson Mandela, a country bumpkin from a tightly knit, traditional African tribal clan in South Africa who went on to become the world’s most famous political prisoner and one of the most respected international statesmen of modern times.

But one thing we really never learned about Mandela through the popular media is what made him tick deep down inside: What kind of spiritual or religious convictions guided him through the various phases of his long, eventful life? What kind of spiritual foundation did he rely upon during his lifetime in confronting, and later overcoming, the brutal racial segregation system in South Africa known as apartheid?

The Spiritual Mandela, a recent book by South African journalist and political commentator Dennis Cruywagen, seeks to answer just such questions, delving into an unexplored personal aspect of Mandela’s life that few have ever bothered to explore before. The picture that emerges through the course of the book is of two distinct Nelson Mandelas.

On one hand, we read of the Mandela who was raised from an early age by his mother in the Methodist religious faith in rural South Africa and who, in private, remained devoted throughout his life to that branch of Protestant Christianity right up until he passed away in December 2013 at age 95.

In public life, however, Mandela often downplayed any overriding role of religion in his life. “No, I am not particularly religious or spiritual,” he is quoted in this book as telling an interviewer in the early 1990s, before becoming president of South Africa. “Let’s say I am interested in all attempts to discover the meaning and purpose of life. Religion is an important part of this exercise.” Mandela clearly saw a diversity of religions in society as something positive, and went to great pains to avoid putting his own faith above those of others.

Mandela’s second wife, Winnie Madikizela-Mandela, had also been brought up by her family in the Methodist church — a common religious bond that seems to have cemented their relationship during some of the worst years of apartheid following their marriage in 1958. In fact, the Methodist church, as we see in this book, was the choice of worship for many black South African Christians of that time, apparently because it defied apartheid and treated blacks as equals with whites at a time when few other branches of Christianity in South Africa would do so.

It was Nelson Mandela, after becoming president in 1994, who pushed for a “Truth and Reconciliation Commission” to be established to help heal the deep social and spiritual divide left by apartheid after almost a half-century. Mandela’s close friend, the Anglican archbishop Desmond Tutu, was selected to oversee the commission’s work.

As author Cruywagen reminds us, the political decision to create this commission was based upon Mandela’s strong religious Christian belief in forgiveness and compassion for one’s enemies. Mandela felt privately that South Africa’s new constitution — as firmly grounded as it was in fostering a democratic system — simply could not breach the moral chasm that still existed in society after apartheid. Only spirituality could do that.

And so, the commission went ahead with its work, earning both praise and criticism from the South African public. In ensuing years, other countries around the world also saw the wisdom in Mandela’s thinking, and created similar truth and reconciliation commissions to deal with the deep divides in their own nations.

In this book’s final chapter, “Last Rites”, we are brought full circle through Mandela’s life to his final moments on Earth, with some very moving episodes shared by those who were closest to him. Mandela received a combination of a traditional African tribal ceremony and typical Methodist Christian ceremony when he died, as the eyes of the world witnessed the memorable event live, as it happened, thanks to the power of global media and technology.

Author Cruywagen embarked on a fairly arduous undertaking when he set out to write a 225-page book specifically about the spiritual side of Mandela, considering that very few writers, if any, had ever tackled such a subject before. Which is probably why Cruywagen often ended up joining together bit and pieces of Mandela’s life like a jigsaw puzzle and depending too much on other past print media writings as primary sources of information for his book.

But fortunately, that imbalance is evened out somewhat with fresh sources of research and interviews that Cruywagen himself had personally conducted for this book project following Mandela’s death. And we the readers are all the richer for it, as we gain new insights today into what it was, deep down in his soul, that actually created the greatness of a statesman like Nelson Mandela.
音楽 music
Stacks Image 20928
‘ISHQ: SUPREME LOVE
Abida Parveen
2005
スラム世界の中の多くの感動を与えてくれる歌手や音楽家達の中でも、パキスタンのアビダ・パルヴィーンはスーフィー音楽(イスラム神秘主義の音楽)の女王として君臨してきました。スーフィー音楽は、神秘的な詩を伴うイスラム音楽で、直接的で個人的な神との関係を称えています。

実際、アビダという名前だけで、イスラム教徒であるかどうかに関わらず、世界中の多くのファンに認識されています。彼女はそれほど有名で広く賞賛されているのです。

これまでの約半世紀の間、彼女は憧れと愛について歌ってきました。それは、恋愛というようなものではなく、もっと崇高な精神的な神への愛、つまり至上の愛についてです。

2005年に発表された、この『
‘Ishq: Supreme Love イシュク~神にささげる愛』ではパルヴィーンならではの魂のこもった歌声が披露されています。そして、いろんな方法で彼女が何年もかけて発表してきた代表的なおよそ100のアルバムがあります。このCDで、彼女は、尊敬を集めた古代のイスラム神秘主義の詩人達による古典的な詩を多数の言語で歌い、詠唱しています。それらの言語とは、彼女の母語である、ウルドゥー語を始めとして、ペルシャ語やアジアの数カ国の言語に及びます。

彼女の歌には英語の言葉はありません。というのも、ポップミュージック市場のためではなく、人々の魂に向けて歌っているからです。また、言葉の壁についてあまり気に留めていないようで、自分の音楽の中にある感情は言葉や文化の垣根を越えるのだと信じていると、インタビューで語ったことがあります。

そうは言っても、CD付随のライナーノートには歌詞の翻訳もついていて、理解に役立ちますし、またそれぞれの曲に対する彼女の短いコメントもついています。

Peren Pawan di San』 (この曲は「私が苦行者になったのは、あの方のため」と翻訳され、上のオーディオ・クリップで取り上げられています)という曲で、パルヴィーンは最愛の予言者モハメッドについて、16世紀の終わりの古代のイスラム神秘主義の学者や詩人の情熱的な言葉を引用しています。

私が苦行者になったのは、あの方のため
私の中で燃えているこの炎を
どうやって消すことができようか
あの最愛の方によって灯されたのだから

Chelo Ri Sayyan Chareha de Khein』(翻訳:「来よ我が友よ、見よこの光景を」)という曲では、パルヴーンはイスラム神秘主義の古典詩の中の言葉を用い、読み手に対し、神が与えた自然の光景と木立の中に佇むモハメッドの姿を敬うように促す歌を歌っています。

Andar Hun Te Bahar Hun』(「私は内部に在り外部に在る」)という曲もまた別のイスラム神秘主義の古典詩に基づいた曲で、パルヴィーンは、アッラー(神)は本の中ではなく、私達の周りの全てに存在するのだということを歌っています。

このスタジオ録音の7曲全てには、パルヴィーンの歌にハーモニウム、タブラ、その他の打楽器の伴奏がついています。その澄み切ったような明瞭な音質は、まるでライブで聞いているかのようで、このCDから彼女のライブパフォーマンスの模様がまざまざと浮かび上がります。(
こちらのビデオクリップから実際のパルヴィーンのコンサートの模様が見られます)

パルヴィーンが歌手としてこれほど人気があるのはなぜでしょうか。それは間違いなく彼女の深くハスキーで重厚な歌声のせいでしょう。また、世界中の聴衆は、生演奏での彼女の情熱的で時に感情的な歌声にのせた聖典に感動を覚えるからかもしれません。そして、彼女の歌による古代スーフィー文学の解釈にもまた、聴衆の心を動かす力があるように思えます。

CDケースは小さなハードカバー本の形で、ライナーノートには有名な古代スーフィーの場面を描いた美しいイラストや音楽家達の写真が沢山載せられており、パルヴィーンが何を伝えたいのかについても十分な説明が付いています。

イスラム系の音楽に関して言えば、アビダ・パルヴィーンは長い間、イスラム教信奉者、特にスーフィー信奉者の芸術世界で世界中の尊敬を集める高い地位に就いてきました。そして、これから先もそれは変わらないでしょう。しかし、必ずしもスーフィー信奉者にならなくても、このCDから美とインスピレーションのエッセンスを見いだすことは出来るのです。

このCDを味わうために本当に必要なことは、その愛という贈り物を受け取ることが出来る様に、しっかりと心を開いておくことです。特別で精神的な愛を彼女は自分の音楽の中で与えようとしています。これは、実に、他者と分かち合うために作られた音楽なのです。
Among the many inspiring singers and musicians to be found throughout the Muslim world, Abida Parveen of Pakistan stands near the top as the reigning queen of Sufi music, a mystical, poetic strain of Islamic music that celebrates one’s direct and personal relationship with the Divine.

In fact, the singer’s first name, Abida, alone is instantly recognizable worldwide among many Muslim and non-Muslim fans alike. She is that famous and widely admired.

For about a half-century now, she has been vocalizing songs of deep longing and love — not the kind of romantic love between two people, but rather a love for a higher spiritual power, for God. A supreme kind of love.

This 2005 release, ‘Ishq: Supreme Love, finds Parveen in her soulful element and, in many ways, is typical of the hundred or so recordings she has issued over the years. On this CD, she sings and chants the classical poems of respected Muslim Sufi poets of the ancient past, and being multilingual, she does it in several different languages: in her native Urdu, in Persian and in a few other South Asian tongues as well.

There is not an English word to be found in her songs. What she sings is not for the pop-music market, after all, but to reach people’s souls. Yet Parveen doesn’t seem to worry much about the language barrier, having said in interviews that she believes the feeling in her music transcends the boundaries of words and cultures.

That said, the liner notes of this CD do include helpful translations of her lyrics, as well as her brief comments on each tune.

On the track “Peren Pawan di San” (translated as “The one for whom I have become an ascetic” and featured in the audio clip above), Parveen quotes the passionate words of an ancient Sufi scholar and poet from the late 1600s in referring to the beloved Prophet Muhammad:

The one for whom I have become an ascetic
Burns in me
How could this flame be extinguished
Since it has been lit by the Beloved himself?


On the song “Chelo Ri Sayyan Chareha de Khein” (translation: “Come, my friend, and marvel at this spectacle”), Parveen sings the words of a classic Sufi poem that invites the reader to admire the spectacle of God-given nature and the appearance of Muhammad in a grove of trees.

In the tune “Andar Hun Te Bahar Hun” (“I am within and without”), based on another classic Sufi poem, Parveen sings of Allah (God) being found not in the pages of a book but in everything that surrounds us.

A small ensemble of harmonium, flute, tabla and other percussion accompany Parveen on all seven tracks of this studio recording. The crystal-clear audio quality almost has the feeling of a live event, and one can imagine what her live performances are like by listening to this well-recorded CD. (Check out this video clip for an actual glimpse of Parveen in concert.)

What makes Abida Parveen so popular as a singer? No doubt it has to do with her deep, husky and full-bodied vocal sound. Audiences the world over also seem to be as moved by her vocal interpretation of ancient Sufi literature as they are by her passionate, often emotional, presentation of those sacred texts in a live musical environment.

The CD case is in a mini-hardcover book format, and the liner notes are full of beautiful illustrations depicting famous ancient Sufi scenes, photos of the musicians and ample explanations of what Parveen is singing about.

As far as Islam-inspired music goes, Abida Parveen has long occupied a high place of respect in the world of arts among Muslim adherents, especially Sufis, the world over and will continue to do so far into the future. But one doesn’t necessarily have to be a follower of Sufism to find the essence of beauty and inspiration in this recording.

All we really need for enjoying this is to have a mind and heart open enough to accepting the gift of love — a special, spiritual kind of love — that this singer offers in her music. This is music that is truly made for sharing with others.
映画 film
Stacks Image 20941
UTOPIA
John Pilger, director
2013 110 min.
地球上最古の文化を持つアボリジニ(オーストラリア先住民族)は、1780年代に最初の英国開拓移民がやってきた何万年も昔から現在のオーストラリアの聖地に深い精神性を根付かせてきました。

また彼らは、今日、世界中で最も抑圧され、虐げられ、迫害されています。熟練の映画監督、
ジョン・ピルジャーが作った、このドキュメンタリー映画は、彼らアボリジニの話です。植民地化され、征服させられてきたと同時に、その抑圧に抵抗し、21世紀になっても尚、存続し続けようとする純粋な彼らの意思を描いた作品です。

ヨーロッパに拠点を置く、オーストラリア人ジャーナリストのピルジャーは、この問題を語るのに最も相応しい人物です。彼は何年も、戦場や世界中の危険な場所を新聞記者やテレビ局の特派員として報道してきました。この映画では、その批判的で容赦のない報道で定評のあるピルジャーが、母国に対し真正面からカメラのレンズを向けて、オーストラリアのアボリジニに対する恥ずべき扱いを人々の目に晒しています。

この映画の核心は彼らアボリジニ自身にあります。撮影された彼らの声や直接の証言を通して、オーストラリアに存在する深い問題がよりはっきりと理解できるようになりました。この映画では、皮肉にも「ユートピア」、現実離れした故郷と名付けられた不毛のオーストラリアの奥地、つまりオーストラリア最貧地域のアボリジニ社会を苦しめる極貧を目の当たりにします。そこは住宅密集地で、人間が生活するのに適さないほど不潔な環境です。

この映画で、とりわけ見せつけられるのは、彼らの絶望の深さです。アボリジニの、しかも子供の自殺者の増加がそれを示しています。

アボリジニの人々は警察に虐待されたり、また、アボリジニの受刑者は留置場で亡くなったり、ということがありますが、それらの多くは未解決、または加害者が処罰されないままなのです。そして、また、1900年代の「盗まれた世代」を生き延びたアボリジニによる証言が出てきます。この時代の彼らは子供の時に無理矢理に家族と引き離され、国営の里親制度でオーストラリア白人家庭に養子縁組させられました。そして、なんと、そのような「盗まれた世代」の慣習が今もまだ現代のオーストラリアで続いているのです。

ピルジャーが建国記念日を祝っているとわかるような平均的で普通の白人のオーストラリア人に街頭インタビューをする場面は、いくらか明るく、滑稽です。しかし、このような人前に触れるような時でさえ、その人物から、人種的偏見、恩着せがましさ、指導者的態度といったものが、滲み出ているのが感じられます。

ピルジャーは権限のある公的な地位にいる人に対して、毅然として対決を辞さないインタビューを行うことで知られていますが、この『ユートピア』においても、やはりその期待に応えてくれました。視聴者の中には、彼がオーストラリア先住民健康担当大臣にインタビューするのを見て居心地悪く感じる人がいるかもしれません。なぜならこのインタビューで、ピルジャーが先住民健康担当大臣に、なぜ先住民達が不安を抱えている壊れた社会制度を是正しなかったのかと尋ね、二人は収録中に激しい口論となったからです。どこの国のいかなるジャーナリストであっても、政府や経済界の大物にインタビューをして、彼らに公然と国民に対する責任を取らせることが出来るジャーナリストに、私は拍手を送ります。私は自分がそうだとは思いませんが、やはり、それがジャーナリストの仕事だと思います。

オーストラリアのメディアもまたピルジャーの映画で非難を浴びています。特に2007年にはアボリジニの大人たちの中で横行するアボリジニの幼い子ども達への性的虐待が報道されましたが、それは後に根拠のない誤りだと分かりました。当時の右派のジョン・ハワード首相率いるオーストラリア政府は73の人里離れたアボリジニ地域に影響を及ぼす厳しい(一連の)新たな政策を立法化するために、そのような見せかけの性的虐待のニュースを利用したのです。ハワードはオーストラリアの軍隊を同国のノーザンテリトリーに位置するアボリジニ地域へ送り、文字通り銃口を突きつけて政策を施行しました。

この出来事はオーストラリア人には「介入」政策として知られています。しかし、10年の月日が流れ、2017年の現在も、アボリジニの生活への政府介入や侵入というこれらの誤った政策は、オーストラリアの中にしっかりと収まったままです。

この映画では、オーストラリアで力を持つ鉱業や観光業が伝統的なアボリジニの土地を正当な持ち主である彼らの許可を得ずに、いかに驚くべき速さで侵略し、開発してきたかを描いています。

彼らの多くの闘いにおいて、アボリジニ側につく白人オーストラリア人は比較的少ないのですが、この映画にはそういったリベラルな白人支持者たちが登場します。彼らは医療従事者、ジャーナリスト、大学教授、活動家などですが、彼らの声もまた、アボリジニたちと同様に、白人オーストラリア社会の本流にいる人々の注目はあまり引いていないようです。

そして、ピルジャーがこの映画を発表してからの数年間で、アボリジニの状況はさらに悪化したようです。少年拘置所の厳しい環境に置かれていたアボリジニの子どもたちが看守から虐待を受けるという衝撃的な事件が2016年に
報道されました。この事件により、オーストラリア政府委員会が調査し、そのような少年拘置所の早急な閉鎖を求めるに至ったのです。

『ユートピア』に出てきた人たちの追加インタビューをご覧になりたい方は、こちらの
映画オフィシャルウエブサイトから2枚組のDVDセットが入手できます。そうでなければ、こちらのヴィメオから映画の全部を見ることをお勧めします(勿論、無料です)。これは、すぐに忘れることが出来ない映画です。

およそ200年前に最初の英国開拓者が現在のオーストラリアに移住し、その地を囚人の流刑地として確立した時、オーストラリア大陸には推定125万人のアボリジニがいました。しかし、今日では、その半数に満たない数となっています。この映画を観ることで、そのような集団虐殺が、どのように、なぜ起こったのかが、より明確に理解できます。

同様に重要なこととして、この自由な欧米グローバリズムの時代において、オーストラリアの先住民族が彼らの土地のために、祖先のために、そして基本的な人間の品性を守るために、いかに闘い続けているかを理解することができます。
The Aborigine people represent some of the most ancient indigenous cultures on the planet, with deep spiritual roots in the sacred lands of what is today Australia that date back tens of thousands of years — long before the first British settlers arrived there in the 1780s.

These Aboriginal people are also, today, some of the most oppressed, persecuted and abused people in the world. This documentary film by veteran filmmaker John Pilger is their story. It is a story of colonization and subjugation of the Aborigines as well as their resistance and sheer will to survive well into in the 21st century.

And Pilger, an Australian journalist based in Europe, is the perfect person to tell that story. He has reported over the years from war zones and other dangerous places around the globe as a newspaper and television correspondent. In this film, Pilger, renowned for his critical, hard-hitting reporting, trains the camera lens squarely on his own country, exposing Australia’s shameful treatment of the Aborigines for all to see.

The real heart and soul of this film lie with the Aborigine people themselves. Through their voices and firsthand testimony on camera, a clearer understanding of the deep problems that exist in Australia becomes possible. We see the utter squalor and poverty that plague Aborigine communities, such as the ironically named Utopia homeland far out in the barren Australian outback — the poorest place in Australia. We visit overcrowded Aboriginal homes and see filthy conditions that are unfit for any human being to live in.

Most of all, we see the hopelessness. This is reflected in the rising numbers of Aborigine people, especially Aborigine children, who commit suicide. They have no hope for any kind of future in their country.

We see scenes of abuse of Aborigine people by the police and hear of deaths of Aborigine prisoners while in police custody, many such cases of which go unsolved and unpunished. We hear testimony by Aborigine survivors of the “stolen generation” during the 1900s who were forcibly separated from their Aboriginal families as children and put into government-run foster care programs to be adopted by white Australian families — and we find out that such official “stolen generation” practices are still going on today in contemporary Australia.

Some of the lighter, more humorous moments in this film come when Pilger does “person on the street” interviews with average, ordinary white Australians who turn out to celebrate Australia’s national day of founding. Even in those revealing moments, though, outright racism and patronizing, paternalistic attitudes toward Aboriginal people literally drip from the lips of the white Australians interviewed.

Pilger has a reputation for conducting tough, confrontational interviews with people in official positions of authority, and in Utopia, he again lives up to that reputation. Some viewers may feel uncomfortable with Pilger interviewing, for example, Australia’s minister for indigenous health and getting into a shouting match with him on camera about why he hasn’t “fixed” the broken social system where indigenous Australians are concerned. But not me. I applaud any journalist, in any country, who can interview influential people in government and business and hold them openly accountable to the public. That is a journalist’s job.

Australia’s mass media also come under fire in Pilger’s film, especially in relation to news reports in 2007 — later found to be unsubstantiated and false — that accused adult Aborigine men of widespread sexual abuse of young Aboriginal children. The government of Australia, under right-wing prime minister John Howard, then used the pretense of such reports of sexual abuse as the reason for enacting into law a set of severe new policies that affected 73 remote Aborigine communities. Howard sent Australia’s military forces into rural Aborigine communities in the country’s Northern Territory to enforce those policies, literally at the barrel of a gun.

Australians know this whole episode by the name of “The Intervention”, and in 2017, a decade on, these failed policies of government intervention and intrusion into the lives of Aborigines is still firmly in place in Australia.

This film also portrays how the powerful mining and tourism industries in Australia are encroaching upon and developing sacred traditional Aborigine lands at alarming rates, without the permission of the Aboriginal rightful owners of the lands.

There are relatively few white Australians who stand on the side of the Aborigines in their many battles, but we do meet some of those liberal white supporters in the film as well: health workers, journalists, professors, activists. But their voices too, like their Aboriginal brethren, often seem to go unheard and unnoticed by mainstream white Australian society.

And in the few years that have passed since Pilger released this film, things only seem to be getting worse for the Aborigine people. The shocking abuse by guards of Aboriginal children who were being held under harsh conditions in juvenile detention centers was reported in the media in 2016, leading an Australian government commission to investigate the matter and call for such juvenile jails to be closed down immediately.

For those viewers interested in seeing an additional set of extended interviews of persons appearing in Utopia, there is a two-disk DVD set available from the film’s official website. Otherwise, I would recommend watching the main documentary film in its entirety on Vimeo (of course, for free). It is a movie you will not soon forget.

When the first British settlers migrated to what is now Australia a couple hundred years ago and established it as a penal colony, there were an estimated 1.25 million Aboriginal persons living throughout the continent. Today the number is less than half of that. Watching this film, we understand more clearly just how and why such a genocide happened.

Equally as important, we understand how, in this age of unfettered western globalism, the First Nations people of Australia continue to fight on for their lands, for their ancestors and for basic human decency.