日米におけるメディア比較考察 [パート2]


記者クラブ制度

「日本の記者クラブ制度について」はたくさん言いたいことがありますが、あまり時間がありません。しかし、これだけは言っておきたいと思います。他の国にも記者クラブのようなものはあります。米国にも首都ワシントンにはホワイトホウスの当局者や外部の正式な情報源から情報を取るプレス・クラブがあります。私は必ずしも記者クラブがよい考えだとは思いません。またいつも記者クラブの問題をなくすべきだと言い続けてきました。

日本にはおよそ千の記者クラブがあります。記者クラブは官庁や大きな企業の建物などの中にあり、多くのメディアはそこに机席をもっています。そしてそこに来た記者は建物の中から外に出ずに内部の情報源から情報を得ます。

私は記者クラブをコーヒーフィルターのようなものと考えています。そのフィルターはいくらかの情報を出し、重要な大部分の情報は通さないように設計されています。我々が手にすることができる情報の大部分は重要でないものです。つまり日本には千の巨大なコーヒーフィルターがあって、重要な当局の情報はフィルターからは出てこないのです。だからある日の新聞を見たとしてもそこに真実は、ごくわずかの割合でしかありません。

新聞社の多くは記者クラブを必要で、とても便利なものだと思っています。私には朝日新聞に勤めている友人の記者がいますが、彼も私に「記者クラブはとても便利だ。なぜならば記者クラブのボックスに行ってすでに用意されているプロットをまとめて本社に送ればよいだけだから」と言っていました。確かに記者クラブは便利でしょうが、記者クラブは民間がそれを知るための手段をもっていません。それに私は記者クラブを信用していません。メールボックスに到着する以前に情報がきれいに清掃され、衛生的になっているのです。こんなことで真実がわかるはずがありません。

そして記者クラブ制度はマスメディア間に不公平で不要な競争を促進します。それも記者クラブ制度がなければ起こらなかったであろう競争です。例を挙げれば、数年前、神戸で登校中に1人の女子高生徒が生活指導の男性教師が閉めた校門に頭部をはさまれて亡くなるという事件がありました。この事件は大スキャンダルになり、すべてのマスメディアが話を取るためにその学校に殺到しました。

思い出していただきたいのですが、教育委員会はセンシティブに反応しました。私は当時 UPI 大阪支局の特派員として働いていて、学校が記者会見をやるというのでそこに行きました。

しかし、学校に着いてみると私は記者クラブのメンバーでないという理由で記者会見から締め出され、記者会見が行なわれている間、寒い天気の中でほかの、記者クラブのメンバーでない日本人の記者たちとともに1時間か1時間半ぐらい立ったまま、待たなければなりませんでした。彼らは激怒していました。

ようやく学校当局の人が学校の中に入ることを許可したので、私を含むその時残っていた30人か40人の記者は、記者会見が行なわれていた部屋に突入しました。その時は記者会見が終わったばかりでまだ他の記者たちが残っていました。

我々が記者会見場に入った時にはもうほとんどの取材は終了していて、私たちが基本的な質問をしても「もう記者クラブのメンバーに答えたので答える必要はない」と拒否されました。つまり記者クラブのメンバーはすでに必要なだけの情報を得ていて、その内の何人かは帰ろうとしていました。記者クラブのメンバーたちは私たちに向かって叫びました。「そんな質問はするな。もう私たちが質問した」。また、学校当局者も非協力的でした。「これ以上何を知る必要があるのだ」。我々はそのよう待遇を受けました。

もちろん我々は怒りました。これは非常に不公平です、なぜなら学校当局は記者クラブ(確か兵庫県教委記者クラブだったと思います)に所属する人々だけに記者会見を行なったからです。明らかに彼らが重要な役割を果たしたわけでもなく、ただその記者クラブのメンバーであったということだけでスクープをものにしたのです。最終的には私たちは事件の概要を何とかつかみましたが、そのことについてできることはないと思っていました。しかし、翌日テレビをつけてみると、確か毎日放送だったと思いますが、昨日私の隣にいて、私と同じように寒い外で待たされていた女性の記者が画面に映っていました。そして彼女は学校側の扱いについて不満を述ベていました。彼女はよい仕事をしたと思います。

彼女はまさにそうすべきだったことをしたのです。彼女は記者クラブ制度の存続について疑問を投げかけ、情報がいかに操作されているか、特にこのように人命に関わる問題について取材・報道するときにどうすべきかをその番組の中で述べていました。この場合彼女は素晴らしい仕事をしたと思います。こういった理由やその他多くの理由から私は日本における記者クラブ制度は廃止されるべきだと考えます。なぜなら益よりも害の方が多いからです。

ジャ一ナリズム教育

続いて「米国におけるジャーナリズム教育について」ですが、私のジャーナリズム学部における経験について少し話したいと思います。よく訓練されたプロのスタッフを抱えるジャーナリズム学部で学ぶことができたのは幸運なことでした。私の教授はUPIの副社長であった人物で、偶然、彼のホームタウンがフレズノ校のある所で、退職してから私たちを指導してくれました。彼はジャーナリストとしての視点から我々を教育してくれました。一般的に、我々は経験のある尊敬できるプロの教師たちから学ぶことができました。

彼らはまた学生に対し、熱心によい教育が受けられるようにしてくれましたし、卒業してからよい仕事が見つかるように手伝ってくれました。ジャーナリストとしての訓練としては、実際に締め切り時間を決めて記事を書いたり、裁判の法廷を見学したりといったようなことをしました。まさに新聞記者がするような方法で記事を書くことなども学びました。また私は同時に日刊の大学の学生新聞の編集長も務めていましたのでとても忙しかったですが、とてもいい経験だったことを覚えています。

そしてまたジャーナリズム学部とマスメディア企業の間には強いつながりがあります。私が学生だった頃、学部の教授たちは卒業生のうちの90%がマスメディアの職に就いたと自慢していました。もっとも本当かどうかは知りません。しかし、ジャーナリズム学部では会社に入ってからすでに知っておかねばならないことを学生のうちに教えこみます。

米国のジャーナリズムと日本のジャーナリズム教育の最も大きな違いについてですが、米国では会社に入る前の時点で高度な訓練を積んでいることが前提として求められます。なぜなら会社に入ってから訓練する必要がないようにです。しかし、日本では訓練されず何も知らないで入社する方が好まれ、また会社も新入社員を彼ら独自のやり方で訓練しようとします。新入社員は会社のやり方を学び会社のパターンに従うことが求められます。つまりジャーナリズム教育の基本部分からして違うのです。これは大きな違いです。

米国のジャーナリズム教育のシステムは健在ですが、次第に日本式のジャーナリズム教育の方向に移ってきているということを言わねばなりません。つまりマスメディアも新入社員を自分のやり方で訓練させようとしてきているのです。ジャーナリズム教育の重要性そのものが疑われているのです。しかし、同時にまたジャーナリズム教育がジャーナリストには重要であると感じている中核的な部分があることも事実です。

またジャーナリズム学部の卒業生でもジャーナリストになるよりも、役所や企業の広報関係などに行く人が増えているという事実もあります。その理由としては規制が少ないことや給料がいいということが挙げられます。しかしジャーナリストというのは、素晴らしい職業ですし、それを追求していくべきです。ジャーナリズムに敬意を払い、ジャーナリズムを愛してほしいと思います。もちろん真の、本当の意味でのジャーナリズムに至る道はまだまだ遠く、解決していかねばならない問題は数多くあります。

最後にジャーナリストを目指す人はこれだけは覚えていてほしいと思います。ジャーナリストになったら現在のジャーナリズム制度を改革する、そのための努力、協力をすること、そして常にジャーナリストとしての自分の活動を誇りに思うことができるようになることです。21世紀のジャーナリズムの世界はあなたたち次第です。

質疑応答

—ジャーナリストとしての活動において命を狙われるような危険はなかったか。

自分の経験上はありません。ただ数年前、大阪の釜が崎で暴動事件があって、その時にある種の権力側のプレスの一員と間違われて、怒った群衆から取り囲まれ叩かれたことはありました。それに関して抗議者を責めるつもりはありません。あれは怒って当然のことでしたから。権力側の記者たちは警察の陰に隠れて取材をしており、私や何人かの記者は無防備で取材をしたので叩かれたのです。警察の背後から取材をしたりするのは卑怯だと思いました。

—情報源がないのにどうやって情報の真偽を確かめるのか。

自分の場合は事件の背景を調べ、情報源を探し、そして直接当たります。もしその情報源の人物が証言したくないというのなら記事には載せません。情報源が明示されていなければ読者には本当にそんなことを言ったのかわからないし、ジャーナリストが自分の都合のいいように事実を曲げているかもしれないからです。情報源が明らかでなければ、常にあらゆる事件に対して健全な疑いの気持ちをもつことが重要です。

—ジャーナリズム教育を受けていない学生がマスコミに入つたとき何が重要か。

ジャーナリズムの基本原理はもちろん習わなければならないことですが、仮にジャーナリズム教育を受けてないとしても、それを補うことはできると思います。例えば1年間、同志社大学などに戻ってそれについての勉強をするなどしてです。また正直で尊敬されているジャーナリストを見つけ、その人からできるだけ多くのことを学んだり、そして全てのジャーナリストがそうするように、自分で自分を鍛えなければなりません。

—読売新聞が巨人について偏った報道をすることについてどう思うか。

日本の野球事情はよく分かりませんが、米国でも例えばニューヨーク・タイムズはニューヨーク・ヤンキーズやニューヨーク・メッツをひいきにしてるかもしれません。それは別に悪いことだとは思いません。なぜなら米国では地方紙が有力で、地方紙の影響力はしれているからです。だからニューヨークの地方紙がいくらヤンキーズびいきの報道をしてもニューヨークの外ではだれも気にしないのです。

しかし一つの新聞、マスメディアの企業がプロスポーツ・チームを持つことについては疑問があります。マスメディア本来の仕事と野球チームを運営することは衝突するはずです。ザ・デイリー読売にいたとき、編集長が巨人の試合のチケットを売りに来ましたが、私は断りました。彼が驚いたことに、私は大の阪神ファンで、巨人は大嫌いなのです。でもあまり知られてないことですが、読売の中には「かくれ阪神ファン」がたくさんいるのです。
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ブライアン•コバート Brian L. Covert
1959年カリフオルニア州ロングビーチで生まれ。カリフオルニア州立大学フレズノ校でジャーナリズムを専攻、1984年に卒業した。その後来日し1987年からジャパン・タイムズ社に、それから UPI (United Press International)、Mainichi Daily News、Daily Yomiuriと、日本の英字新聞三社に勤めた。昨年からフリーになり、現在徹底的に日本語を学び、将来は日本語で記事を書けるようにと思っている。